11年前

の今日、僕は市ヶ谷の南北線工事の現場で石垣を積むアルバイトをしていた。
土木現場は8時から仕事が始まる。
簡単なラジオ体操をして、作業開始。
8時半くらいからやけに街が騒がしい。
緊急車両が右へ左へ。サイレンの応酬。
白バイ、救急車、消防車、パトカー、東京中のそれらが全部出ているんじゃないかと
思うくらい。それくらい街全体が慌てていた。張りつめていた。
そんな様子にこの世の終わり的な不吉なものを感じて鳥肌がたったのを今も覚えている。
阪神大震災の傷も癒えていない1995/3/20、地下鉄サリン事件霞ヶ関の駅長はサリンの包みを手に持って走った。
鑑識の人も得体の知れないモノに近づき倒れる。
Webで目にしたある記事によると、神谷町の駅の歩道にも相当数の人が倒れていたとの事。
ほど近い虎ノ門病院も人人人で、
野戦病院さながらの雰囲気だったとその記事には書いてあった。
神谷町は現在僕の最寄り駅でもあり、虎ノ門病院も場所や今の様子がわかるだけに、
この事件をより恐ろしいものとさせる。

今でもあの朝の異様な街の空気を覚えている。
僕に何が出来るのか?
今も事件が解決していないという事。
逃亡者がいるという事。
亡くなった方がいるという事、
今も苦しんでいる方がいるという事。意識が戻らない方もいるという事。
そして、この事件が人災であるという事。
忘れない事、祈る事は僕にも出来る。